角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

小豆三月。

 

昨年は3月7日にスニーカーを履けたのだけれど、今年は雪がまだ多い。
鼻炎の薬が切れたので耳鼻科にでかけるといつもの半分くらいしか人がいなかった。

用足しには歩ける限り歩いて行こうときめたものの、本日は風が強くて断念し、久しぶりに地下鉄に乗る。髪を切りたくてたまらなかったのだ。不要不急の用であると自覚していたけれど、店が満員であったので、自分のふるまいも含めてこんなものかなあと思う。

それでも中心部は新年度間近というのにひっそりとしている。地下街はたいてい何かしら音楽が流れているけれど、今日はそれもなかった。いやにさびしい。
地下鉄車内は乗客のほぼ全員がマスクをしている。相変わらずマスクは売っていないし、すっかり諦めているとはいえ、皆さんはどこで入手したのだろうか。私は自宅に晒木綿があったので簡単なのを作った。なんとなく雰囲気が合っていればそれでいいのだと思う。
 
雪がとけて柳が芽吹く頃、大野池に行くのが近年の楽しみだ。柳あおめるという啄木のうたをもじって「あおめる色」とよぶのが好きだ。まだ冷たくていっそう白いひざしに柳は芽吹くのだ。おたまじゃくしも好きだ。鴨、蓮の花、とんぼと楽しみが続く。工学部のほんの小さい池に今年も嬉しいことがたくさんあるはずだ。
春が深くなるころは「没後35年 鴨居玲展」を見に行く予定だった。新しくできた駅の美術館も見たかったのだが未だ旅の手配は保留している。
 
今年に入ってから、あきらめたふりをしていることや、あきらめざるをえなかったこと、あきらめたほうがいいかもしれないことなどがいちどきに押し寄せて、気持ちがすっかり弱くなった。こんなことではいけないと、奮い立たせることすら面倒だ。
こんなことでいけないということもないのではないか。弱るときは弱り切ってしまえばいいのではないか。
 
煮炊きが暖房代わりにもなるので2月に作った赤飯の残りの小豆で餡を作った。本当に美味しくできたので、悪い事ばかりでもないかと考える。