角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

地下鉄に乗って。

 

「地下鉄に乗って」というのは「猫」の1972年の曲だ。
ちょうどその年、吉田拓郎のライブに行った。私はいわゆる洋楽ばかりを聴いていたために吉田拓郎を知らなかった。友人に呆れられ、誘われて行った。「猫」も出演していて、この曲を聞いた。「ツネトミさぁん」という声がかかったのを覚えている。

 

スーパーで買い出しをしたときはショッピングカートが重いので地下鉄構内のエレベーターに乗る。
行き先ボタンが「ホーム」と「改札」とあって、毎回ほんの少し躊躇とか逡巡とかをしてしまう。必ず僅かなためらいの間があく。ホームと改札というのは勿論考えれば分かることだし、考えなくても分かるくらいには心身に染みついている言葉であると思うのだけれど、自分の場合はそれほど定着していないようだ。

よく考えるとホームと改札というのは対比しているものなのだろうか。そこに戸惑う要素があるのかもしれない。
あるいは自分の場合、エレベーターを方向、つまり上下でしか考えていないため目的場所という意識がないのかもしれない。
下に行きたいけれど下はホームだったか改札だったかというようなことを利用の度に考えている気がする。
どちらの表示を便利と思うかはそれこそヒトそれぞれなのだろう。

ホームと改札のことを今日みたいに自宅にいて考える。でも相変わらずどうしてもすんなりとのみこめないものがある。
どうしてホームをホームと言うんだろう。これは改札の対比でも反対語でもないに違いない。ただの場所の名前に違いない。
とは思うものの。

スーパーでは無事に「朝飯めかぶ」を買った。めかぶを買う時はほんの少し躊躇や逡巡をする。自分が買いたいのはめかぶだったかもずくだったかと思うのだ。どちらも大差ないといえば大差はないのだし、もずくだって好きなのだからまあいいんだけど。