角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

2月もまた。

 

ときどき3時半頃に目を覚ましてしまい、どうしたもんかなあと、とりあえず枕元の本を読んだりする。
寝る前にも少し読む。そんなふうにしてやっと読み終えた。
日々に読み進むページ数がかなり少なかったのは、少し読んでは本を置いてあれやこれやに思いを馳せてしまうような本だったからだ。大変興味深く面白く読んだ。感動的ですらあった。
「生物と無生物のあいだ」という本なのだけれど、専門書ではなくて読み物ととらえた方がいいと思う。名前も知らない数多くの天才に圧倒される。けれど、それらの人々や彼らの偉業は最近のものではなくて、かなり昔の話もあって、しかも、例えばDNAのA、G、C、Tの塩基の話にわくわくした後でそういえばこれは高校生物かなにかで教わったと気がついた。

高校の理科は3年間に生物、化学、物理を履修した気がするけれど、どれも全く出来なかった。生物は1年生の時にならって、最初のテストは100点満点のうち24点だった。3年の物理で0点をとったことがある。化学は辛うじて二桁だったと思う。
本を読んでこんなに面白いと思うのに、学校の授業が科目によっては死ぬほど退屈で何の興味も持てなかったのはなぜなんだろう。

エントロピー最大の状態が死であるとか、秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない、とかそういう言葉を投げかけてくれたなら、居眠りしてしまうこともなかったかもしれない。物理だって本当は楽しかったのかもしれない。
 
高校の同級生のMちゃんは私とは違う中学校の出身で、勉強も良くできるし、なにより超絶可愛らしい美人であったのだが、生物クラブだった彼女が、放課後白衣姿でいるのを見て、ああ私とは違うんだとしみじみ思った。後にMちゃんと私は同じ大学の同じ学部に合格してしまい、一応理系の端くれであったので、私にとっては大きく人生がねじ曲がってしまったことだった。
私は、なぁんにも分からないまま卒業した。Mちゃんは1年ドッペった。あまりに美人だったからだと思う。
 
同じ大学に合格した女子は5人いたけれど、卒業後、私のクラスの担任がお祝いにと、隣のクラスのMちゃんと私だけを誘って天丼をごちそうしてくれた。そのあとスナックに行ったら、カウンターの女性がMちゃんのことをしきりに「こちらの彼女、かわいいわね、すごくきれいね」と何度も何度も誉めるので、それは全く事実なのだけれど、17歳の私がどのくらい悲しかったか。何十年も前のことを今でもくっきりと覚えている。およそ本とは無関係のことがらを思いだしつつ読んだのだった。
 
と、ここまで書いて、大変なことに気がついた。

ええ、お風呂が、溢れてしまいました。やれやれ。