角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

春か何かの足音。

 

不安は日々大きくなるけれど、だからといって各所各場面での「気持ち」の自粛が当たり前になったりするのは不気味だ。
 
感染が、交通機関の発達などによって世界が狭くなったかのように瞬く間に広がる、ということは理解した。それに打ち勝つのは「情報」の力だと思う。けれども情報のタイムラインは事実も虚偽も併せて濁流の氾濫のようだ。何を信頼していいのか判断できなくなりつつある。
 
私は明日から仕事にでる。不安だからといって同僚を人の中に晒して自分だけが引きこもっているわけにもいかないだろう。自分独りの身であれば、なるようにしかならないと心を据えることができるけれど、息子たちを思うといてもたってもいられなくなる。
息子夫婦は地下鉄に乗って職場に行き、たくさんの人の中で仕事をする。1歳児を保育園に預けた後に。1歳児は年齢的に、環境的に、次から次と発熱だ胃腸炎だ中耳炎だと凄まじい。つい先日も中耳炎の発熱で入院したばかりだ。と言う具合に1歳児は免疫的にも非常に弱い存在だ。親は疲労困憊だ。
 
だからといって彼らの日々の生活で一体今以上の何ができるというのだろう。私が彼らの役に立つことだって事実上はないのだ。だからせめて有事の際は、彼らを介入させずに知らせずに独力で、生きるにしてもそうじゃないにしてもとにかく独りで最善の行動をとるほかないと考えている。

ややしばらく中心部には行かないことにする。交通機関も利用しない。図書館にも行かないし、映画館にも行かない。職場と食材の買い出しだけで当面を乗り切ろう。髪を切らなくても伸びるだけなので気にしない。
私は未だかつてインフルエンザに罹ったことはないけれど、昨日まで幸福だったからといって明日も幸福だとは限らないものだ。
数か月前や数年前、従前がどれほど他愛なくしあわせだったかを思うと。