角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

いざよい。

 

2017年か18年に作った梅干しが4個残っていたので、思い立って粕味噌床に漬けてみた。ああもう楽しみでたまらない。


不調が喉元をすぎるというか峠を越すとげんきんなもので、病院に行くというミッションを反故にしそうになる。まだ行ってない。
職場は辞められるのだろうか。わからない。というのも凄まじく慰留というか、まあ慰留なんだけど、がなかなかで、私は丁寧に謙虚に穏便に去りたいのだけれど、これ以上食い下がられると切れるかもしれない。

たとえば私が仮に小指を骨折したので退職したいと言うとき、誰それさんも小指を骨折してるけど働いているよ、みたいな言い方をする人って結構いる。誰それさんは私ではないので、全く関係ないと思う。私は私の骨折を痛むだけなのだ。降って湧いたような大迷惑案件なのは承知しているから、極めて低姿勢を崩さずに消え去ろうとしているのに。
かげで何を言われようと私は関係ない。私に聞こえたなら何か応答するかもしれないけど、聞こえなければどうでもいいことだ。
というような憎まれ口を利きたくはないが。

しかし安静というのはさぼりに似ている。あまりに似すぎていて困ってしまう。私はほんとうは何もかもに嫌気がさしてさぼっているだけではないのだろうか。そしてどんな顔をして職場に行けばいいのかわからなくなって苦肉の策として病気をでっちあげているのではないか。
あ、別に病気ってわけじゃない。というとますます怪しいではないか。
自分でも良く分からなくなってきた。困ったなあ。これじゃあ誰からも信用されないに違いない。信頼だなんてね、自分の側にはないのだ。私が自分自身をきちんと信頼しているからといって、他の人がそう見なきゃそうじゃないのだ。

私、14日目の月を満月だと思った。あなたは私の何を見てたんだろう。
というふうに時々変な時空にはまりこんで右だったのか左なのか夏だったのか冬だったのか対比を巡り続けることに私は決めたのだ。