角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

何色のリュックにしようか考えていた。

 
職場で「寒いね」という挨拶を交わした。今年の夏は熱中症未遂が2名発生した。

ひとりは最高年齢の人だったので、ご本人も自信をなくされたのではないかと思う。私は来年の夏に自信がない。
暑さがもう数日続いたらダメだったのではないかと思う。

ようやく季節は念願の大寒に向かい、私は薄紙を被せるように毎秒毎分、年を重ねており、その調子、その調子と思う。
本日は、来春の旅行のときの持ち物を考えて、リュックを買おうかなどと思っているうちに職場についてしまった。

冬場は、外にでたものの寒いので手袋を探そうと通勤袋の中をかき混ぜているうちに自宅についてしまった。


北海道弁で言うと、家に着かさった。これは不本意ながらという意味合いではなく、意識せずにしぜんと、というくらいの意味だ。
何にでもこの語法を用いると薄紙を挟んだ如くに第三者感が醸される。
私は年をとらさって、何もかもおわらさる。

早いにこしたことがないと思うのだが。
 
関係ないけど、言葉の使い方や意味すら時代によって変遷していくのは理解しているつもりでも、ときどきぎょっとすることがある。先日togetterで「どうぞ見納めください」と丁寧語のように書いてあったので言われるまでもなく二度見した。

私に明日はないのかと思った。いくら早いにこしたことがないと言ったって。