角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

小雨の花火大会。

 

いっそ強い雨でもふればすっきりする。湿度のかなり高い曇天の一日だった。
 
先日、孫の写真を眺めていて、珍しく大粒の涙をこぼして大泣きしている写真があった。ヒトの自我が発達してくると自分の思い通りにならないことで泣いたり怒ったりする局面がでてくるけれど、ヒトはどうやって、我慢や自制を覚えるのだろう。親はどうやって節度を保つことを教えるのだろう。
 
自分が幼児の親だった時のことはもう忘れ去ってしまった。親は自分が子に言い聞かせたことを自分にも課さないといけない。ヒトの子をまっとうな社会人に育てあげようとする中で、親としての自分も育っていく、つまりは親は子に育てられて親になるのだとずっと考えてきた。
 
ちっちゃい孫は、きっともっと離乳食が欲しかったのだろうか、のどが渇いていたのだろうか、何の戸惑いも躊躇もなく泣きに泣いた顔だ。ここから先、あの父と母はどのようにして、思うようにならないことの方がずっと多いことを教えていくのだろう。もはや私ができることは、なぁんにもない。むしろ余計なことを言ったりしたりしてはならないのだ、私は。
 
私が子供を産み育てる中で根強く思っていたのは、製造者責任であった。いつもそれを考えて暮らしてきた。もう忘れちゃったけど、きっと凄い覚悟だったんだと思う。子供が成人して独立して自分の家庭を持ったので、責任期間は無事に消失したと考える。各種責任期間から放免されていく時を余生というのではないだろうか。