角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

微かに自慢する。

 

連休明けにもらったリスコーヒーがあと1杯分しかないので、たまたま友人の結婚式で東京に行ってる息子に、ベトナム経由で帰っておいでとメールしようかなと考えてたら、前に読んだ嵐山光三郎の本で、旅行から帰って羽田についたら途端にハワイ経由で自宅に戻りたくなったと書いてあったのを思い出す。行ったのか行かなかったのか、覚えていないけれど、多分行ったんじゃないかな。
 
私はその気持ちが実に良く分かって、ああ似たような人がいるものだと感じ入った。
 
東京といえば、なんだか近頃東京のひとは気の毒だ。集団ヒステリー的で実に不気味だったことだったものだった。勢いで引きずりおろしてみたものの。おまけに暑いんでございましょう、安富歩さんみたいに自分の居心地のよいポジションを探せるといいのだろうけど。
  
この人のことを例によって私は全く知らなくて、本日初めて知り、そのうえ記事中で、ふりがなが間違っており、やれやれと思った。
 
  
さておき、職場で、白川由美さんに雰囲気が似てると言われて、それが誰だか咄嗟に分からなかった。制服のキャップを目深に被っているせいで顔の半分くらいは隠れていると思う。目深に被りたいわけではないけれど、大きいので少しずつ落ちてくるのだ。
 
私はそんなに美しい女でもなければ愛くるしい女でもなくて、どこといってパッとしたところがないから、存在感がまるでない。
年をとるにしたがってだんだんこわい顔になってきた。だから店をはじめる前に、メガネを新調したときは、少しとっつきやすいイメージにしたくて丸いフレームにしたのだった。
 
お世辞の類を私は全部鵜呑みにする。若いころはモテモテだったでしょ、とか言うけど、そんな事実は全くなかった。私には色気もなければ華もないからだ。女子らしい、ふわふわとか、さらさらとか、ひらひらとか、ぷにぷにとか、揺れる感じ、そよぐ感じ、たなびく感じ、やわやわとした感じ、は私にはない。綿の国星ってわけにはいかないのだ。ずいぶん古いタイトルだけど。そういう雰囲気の固さを私は本当に気にして生きてきた。これはもう劣等感そのものだった。
 
 
でも、せっかくなので自慢だけはしておこうと思った。