角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ビタミンいぬ


仕事なんかはビタミン犬みたいなもんだと思った。
バター犬みたいな、犬の話なんじゃなくて
ビタミンの話っていうか、だからむしろそのまんま「ビタミン犬」だ。
 
でも大層気に入ってずっと考えていたら
噛みすぎたチュウインガムみたく、ちっとも好きじゃなくなった。
 

 
私のつまらなさを根こそぎ小豆に代替するんだ、私は。
焦げても焦がしても焦げ付いても焦がれても焦がれてもああ焦がれると言う字は
 
魚に似ている。
 
明日か、来週、私は小豆を買って来る。いつもなら黄ザラで炊くけれど
氷砂糖を使うと、なんとも品のいい甘さになるから氷砂糖で炊くことにしよう。
 
焦がれるとストローは震える。ストローは震えるのだ。
しかし大事なことはストローの先がウーロン茶ではなくてシャボン玉である。日本語がどこかおかしいことである。シャボン玉である。とあなたはたった一度言う。大事なことだから一度しか言わないときに私は唇を震わせていたかどうかしていた。
 
それで私は心行くまで小豆を心にゆきわたらせると、小豆太り、泡を吹き、小豆太り、汗を拭き、入道雲のごとくに膨張し、かーさんが入院してた山の上から風もないのに転げ転げて秋風たち薄たなびく石狩の野も海も、なべて焦げ付く。なべも焦がれる。魚煮る。
 
字余りの意味足らずなのだ。人に焦がれるということは。でたらめに転がって死んでいくのだ。
あなたの「つまらなさ」は純水の中の透き通る魚のごとくであると私は思う。私はそれが愛おしくて胸にあたためすぎてしまう。