西瓜の皮や、カップ麺のカップ、とうもろこしの芯、サンマ蒲焼の空き缶、バニラシェイクの紙コップとストローなんかを投げ込みたい気持ちにさせる古い家がある。
ぐるり囲んで崩れかけた塀のむこうっ側に。
犬、家を見る。
共感するか、憤慨するか、私はしらないが、しょっぱい顔をした犬に時々出くわすところを見ると、なにもなくて世過ぎをするわけではないんだろう。
犬の気分は わからない 気分があるのかどうかを分からない。
犬曜日なんかない。
どうなんだ、犬は。
風を見る犬は、空を聞いているのかもしれない。
漁る犬は、時間の匂いを嗅いだかもしれない。
雨の日、
私んちにはテレビがないと言った。
俺、テレビがないと生きていけないと、そのヒトは言った。
それから、3秒くらいは まじまじ顔を見合わせて
びっくりの裏側をお互いに探ったものだった。
犬も女も同じ雨に濡れることができるのは不思議だ。
ぐるり囲んだ崩れかけた塀のむこうっ側に投げ込みたくなるのは不思議だ。