角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

二連休中。

 

で、夕べ、ベッドの中に本を持ち込んで、眠くてパタリと本を落としたりしながらもようやく飛び飛びに読んだ。その本は段階を踏んで、設問に答える形で自分で書きながら自分の回答を導きだしていくメソッドなんだけど、私は自分がいやに頑固であることがよく分かった。だからどうしても躓いて先に進めなくて結局、勉強を続けるためのモチベーションの持ち方などの答えを導き出すことができなかった。答えを出すのを気分が拒否するような面がある。
  
でも、「いつまで(何年)夢を見ているのか」という一文にはズキンと響くものがあって、そういえば私はいつまで夢や妄想を抱いているんだろうと考えた。人生を時計で言うなら、私なんかはもう、良い子が眠りにつくような時間だ。
こうやって挫折したり再開したり頓挫したり転換したりしながら、志半ばになるものなんだろう。
 
昨日と今日と二連休で、ドボルザークの交響曲第9番を何度も聞いた。それからモルダウを聞いた。どちらもカラヤン指揮のものだった。それから思いだしたように、談志の源平盛衰記を聞く。それから志ん朝の井戸の茶碗と宋珉の滝を聞く。
 
夕暮れ間近になってから、リタル珈琲に行く。ここで雑誌を眺めるのが好きだ。眺めていて、服が欲しいと思った。私は昨年だったか、春先に妙な気を起こして、かなりの衣服を処分したために、本当に着るものがない。だから服はかなり欲しいけれど、よく考えたら、職場は徒歩7分である上、むしろこぎれいな格好は邪魔になるから何も要らない。化粧もできないのだし。と諦めるしかないのだ。第一私はたいていの場合、衣服よりも食に傾く。
 
最近、再びひょんなことからロクム熱が浮上し、ロクムというのはターキッシュデライトと呼ばれるトルコのお菓子だけれど、気になって気になって仕方がなくて、海外旅行をしたいとはあまり思わないにも関わらず、トルコには行きたい。お菓子や料理が実に魅力的なのだ。そういえばサバサンドもトルコの名物だ。
 
サバなら冷凍庫に隠し持っているから、焼いて挟もう。ロクムの方は、ゆべしで我慢することにする。
 
休めば休むほど、まだまだ休みたくなるのは病気のようなものだ。お気づきのように二連休を遊んでばかりなので、挫折はまだ続くのかもしれない。私が喫煙者であるならば禁煙回数を誇ることができるんだろう。