角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

風来

 

小さいけれど、10年以上続いている仕事があって、相手先の社長は70歳を超えた。
正確には社長ではないのだが、呼びようがないので、以前のままに社長と呼んでいる。

ページ番号が数字ひとつ飛んでつけられていた。
漢字の簡単な書き間違いがあった。
FAXはA4原稿がA3で送信されてくる。
私への振込が旧口座番号になされた。

大層頭の良い人だし、話すことも以前と変わらず明晰なままだ。
けれど、貫入してくる微細なひび割れのような出来事がある。

いちいち指摘するようなことでもないし、それゆえ集中力をそこに向ける気力とでもいうものが削がれてくるのだと思う。

私は今までの仕事を続ける気持ちはないけれど、この社長の仕事だけは何とか最後までお役に立てればと思う。
自分以外の人間がこの仕事を引き継いだところで、難しくもない仕事ではあるけれど、8ページが飛んでいただの、監事が幹事になっていただの、正しいことを正しい顔で社長に言うのは案外正しくないのではないか。私なら恥ずかしい。

自分にしても、何か違和感を感じながらもやりすごした漢字の間違いに後で気づいてぞっとすることがある。もちろん字を知らないわけでもなければ書けなくなったわけでもないけれど、他人はそうは思わないだろうということも分かる。はじまりはこんなふうにとても些細なところからやってくるんだろう。

今までの社会生活を秩序立てていた小さなルールや正しい書き順だとか、拝啓・敬具のような常套句だとかが、あるとき一斉に秩序としての輝きを失ったかのように見える。どうでもよくなるのだ。眠くて泣き出す新生児のように。


あなたが眠くて泣いていた新生児のときあなたはあなただったろうか。
あなたはいつからあなたになっただろう。そしていつまであなたでいるのだろう。


風来だ。だれもかれも。あなたとわたしはコクリコではなかったにせよ、わたしもあなたも風来なのだ。

どこへ、と指し示すことのできるどこかへ行くわけではないけれど、線香花火のにおいだけのこして真夏の漆黒に戻る瞬間や、鍋の水がじゅっと蒸発して、はなから水分なんかなかったとでもいうように熱々の鍋になる瞬間、いや瞬間までは無理だとしても、瞬間を予感するときまで、私は、あなたに見ていて欲しいと願う。

なぜならあなたは熱源だからだ。線香花火のあるいは鍋を焙る。