角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

三月目前サラダ

 

自分は敏感で繊細で微妙で感受性が強くて壊れやすい。
とか自分で言う奴が、大っ嫌いだ。男も女も大嫌いだ。もぉ、なんっていうか、蕁麻疹ができて発熱しそうなくらいに嫌いだ。でって十回くらい、襟首掴んで問い詰めたいくらい嫌いだ。控えめに言って。無神経な人間なんかそうそういるはずもないのに、人に対して無神経だという神経が嫌いだ。
えーとそれから、自分、キウイが好きではありません。
 
最近、朝起きられないのは夜の寝付きが良くないせいだと思うけれど、朝、目覚ましの時間に起きられない日が続いている、だからといって自分が何か心系の、やまいだれ系の、何かであるなんて思いたくもない。私は鈍感で大雑把でいい加減で感受性がなくて壊れにくくて無神経な女であるから、ということと、そういう人間が発症しないに違いないというのは違うと思うが。性質気質だけではないはずだ。素人なので詳しくは分からないけど。

ああ、でも、自分の場合は発症しないと思う何一つ。診断シートのあれこれをやると、必ず今すぐ病院へ、みたいな得点になるけれど、それはハカリゴトの臭いがする。私はそれは嘘だととても思うんだ。
キウイの話をすると、ビタミンCを摂取したくて、かつ果物を食したいときには、適切な果実であるのを知っているけれど、自分は酸味に弱いので苦手だ。ゴールデンキウィは甘いけれど、酸味が足りないから好きではない。あ、柿はいいの。柿も甘いが、私も柿には甘くて、酸味がなくても許してしまう。という我儘言い放題だが、キウイくらいにはあたりちらしたって罰は当たらないと思う。一年に2回くらいしかキウイは買わない。ごめん。
 
なにゆえ私が怒っているかというと、多分それは自分が朝起きられなかったりすることじゃないかなと、そっと考えてみる。
 
怒りはほとんどの場合悲しみだ。
 
私は悲しみに似たものなんかないと書き、それから、似た悲しみというものもないだろうと書いたが、悲しみの方向は同じだ。渋くて喰えない柿であっても、柿に悲しみというものがあるとしたら、私と同じ方向だろう。
 
早起きもできないし、音とモノが嫌になった。どうでもいい音が溢れてうるさい。部屋にあるモノを捨てたくてたまらない。こびへつらいのない音楽を聴きたいと思う。絵を見たいと思う。文章を読みたい。強く思う。
  
朝4時に目覚ましをセットするのは無謀であるか。