角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

不要物を捨てる。

 

きのう久々のねぎま鍋だったので今日のお昼は、溶き卵で雑炊にした。ねぎまはマグロと葱しかいれないのでシンプルの極みで良いものだ。八百屋で軟白葱を買っといてよかった。
 
スーパーに行ったときにきれいにおろされた鰊があったので、何にしたらよいかと考えつつ決めかねたのでパスしたけれど、そうだ酢漬けが食べたいと検索した。簡単にできるものの、素人である自分自身を信じきれないのであきらめた。商品はマイナス20度以下で24時間以上冷凍した素材を使うと決められている国もあるそうだ。といいながらお鮨にトロニシンがあったりすると嬉しくて回避できない。

魚を捌く動画ばかり見ているので一日の思考に魚の占める割合が増えてきたようだ。

さて、一年に何回かは捨てる行動をする。
今日も思いついて午後からあちこちの扉や引出しを開けて捨てる捨てない仕分けをした。毎年だんだん要らなくなる。最後に履いたのがいつだったか思い出せないボルドー色のパンプスもゴミ袋に入れた。下駄は底がすり減って鼻緒だけになりそうだったのでこれも。
それで靴箱の中が冠婚葬祭用の黒いパンプスと冬の靴以外はスニーカーばかりになった。

40リットルのゴミ袋が満杯になると妙な気分になる。自分自身が遠くに行ってしまうような気がしたか、あるいはぎりぎり何が自分に必要なのかと考えたときにたいていのものが不要であることに気がつきそうでそこを迂回したような感じだ。私はどこへも行かないしここからいなくなることはない、わけはない。
 
最近気がついたことだけれど、私は自分の生まれ育ったこのまちを好きだけれど、誰もいなくなるとそれほどの愛着がなくなったような気がする。

不要物を捨て、不要な言葉で話をしたくないものだと思う。私は回りくどくなくてストレートな思いを研ぎ澄ましたい。自分の言葉を持ちたい、自分の言葉で書きたい、話したいと年頭に強く思ったことだった。

今日は常夜鍋にする。
ほうれん草と豚肉だけ。水を使わず酒だけで、と思ったけれどお酒が勿体ないので半々くらいにする。半分を残しといて、鍋からのカレー南蛮蕎麦というのは明日の昼にどうだろう。