本日は仕事日。開店前作業の時に、早く出勤してきた販売の人とほんの少し会話。入ったばかりなのだけれど、健康上の理由で9月一杯で辞めるという。ここの給料では暮らしていけないというので、聞くと八十代の母親と独身の自分と姉妹が同居して生活しているらしい。人の話は私の能力不足もあるけれど、どうにも良く分からないことが多い。
現在もちょっとした不調で通院中とのことであるし、保険関係が不備なのは最初から分かっていたことでもあるし、休憩時間がないのも自明の理であるにも関わらず、なぜ応募したのか私は理解できなかった。
あっという間に辞めることについては、自分もそうなのでひとのことは言えないにしても現象的に同じに見えても理由や事情が異なる。
なぜなんだろう。どうして斯様なむしろ無駄な選択をして時間を費やすのだろう。少なくとも身体の不調を改善するまで就活を保留するとか、余裕がないなら身体に響かない種類の仕事を探すとか。そもそもなぜパートなんだろう。ひとのことは良く分からない。
本当に困窮したときに、何をすべきか何が最善かを考える力は大切だ。考える力がなければ代わりに考えてくれる適切な組織に向かう力が必要だ。でもたいていの場合は困っているだけで、抜け出すことを真剣に考えていない人も結構多いようだ。
ものすごく細かいことを言うと、例えばとても生活に困っているといいながら、無造作に自販機のコーヒーを日常的に買ったり、お金がないといいながら高い香水を買うとか、有機野菜しか食べないとか、そういう生活のあり方は私としては信じがたい軽率さに見える。
自分のことを考えても、手に汗握る展開、このままだと何か月後に破綻、みたいな時期は何度もあって、その都度ものすごく考えて行動した、というわけでもないけれど、身の丈に合わせる暮らしは大事かなと思う。私は自分を見捨てたりしなかったし。
仕事がそれなりうまくいって、息子の何かの節目に欲しがっていた電子ピアノを買ったとき、毎月1台買おうかと言ったら、息子は真顔で「そんなに要らないよ」と答えたので、子供に冗談は通じないものだと思った。