角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

アプリ内課金があるのに無料といわれても。

 

定年関連では引き続き「65歳定年制の罠」「隠居志願」「54歳のハローワーク+アラウンド定年の就活ハンドブック」を続けざまに読んだ。「定年後のリアル」続編の「定年後7年目のリアル」「さらなる定年後のリアル」も読んだ。
この関連はあと1冊か2冊で終えるつもり。他に重松清を読んだ。この人のが面白いので引き続き図書館にあるだけ読んでみたい。
映画の方は55日で54本を見た。2本を同日に見た日があるので後半に2日、見ない日がある、ということは少し飽きてきているということか。
 
仕事のない日は嬉しいのだけれど、仕事に行かなきゃならない「あす」を考えると鬱陶しくなるというのは、あまり素敵なことではない。行くところがなければないで相当に落ち込むような思いもあって、だからこそ仕事をしているのだけれど、本当に我儘なものだ。辞める方の店は今月下旬まで。あと6回行けばいいだけなのだけれど、6回も行くのかと考えてしまう。
 
前の老人ホームの調理補助は月に100時間内外の仕事で4か月で辞めた。
働いている人の中に悪質な人間がいたから、今のところとは比較にならないくらい嫌だったけれど、今回の仕事場のほうは3か月程度で時間数にすると圧倒的に少ない。これはどういうことかというと、偏に私が味を占めたからに他ならない。
人は小狡く味を占める生き物だ。いや、自分だけなのかもしれないが。
私(たち)は、ネット上で罵倒や雑言を大量に叩きつけると、某ニュースサイトに初登場の人をそれきりで辞退させられることを知った。それがいいことなのかどうなのか私には良く分からないし、その記事が残念だったことは事実だ。それから私(たち)は例の集団ヒステリーのように自らを煽るがごとく、騒ぐと人を引きずりおろせることを知った。virusが耐性をつけていくのと似ているような気がする。

私も、小さな自分の世界で、まさかヘイトスピーチをしたり、何か暴れたりということはそんなことはあるはずがないけれど、とにかく、嫌なことは簡単に辞めてしまえることを知ったのだ。炎上する人たちと私と何が違うんだろう。彼らが善でないとすれば私もまた悪ではないだろうか。私は人間の性は悪、とは言い切れないけど、少なくとも善ではないと考えてきた。それが少しずつ、良くない方向に変質してきているような気がする。 
 
 
さておき、息子から詐欺事例のリンクが送られてきた。
実に周到で破たんのないストーリーが出来上がっていて、これは騙されても仕方がないだろうと気の毒になった。
昔の、なんとか共済のような、いわば欲得絡みの詐欺ではなくて、ただ子供が不憫だという親の気持ちを利用した事件は、騙されるほうもどうかしてるだなんて嘯いていいことと違う。
  
私個人としてはこんなふうなお膳立てをされていたなら、とても太刀打ちできる自信がない。私にどこのだれがどうやって連絡をするのか、ということはさておいて。

スマホのアプリに発着信を自動的に録音するのがあって、インストールしようかと考えたけれど、アプリ内課金があるので、そういうのも私はクリックしがちなのでやめておいた。
   
毎日を静穏に過ごすのもなかなか気遣いが必要だ。
あ、それから、些細なことから何かがはじまる、というよりも些細なことで何もかもおわる、ことの確率が高いような気がしている。