角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

夏のまる。


夏というのは大体西瓜かメロンのことばかり考えて暮らす。
頭の中がなんだか丸いものでいっぱいになる。
 
 
栗山町のメロンが実に美味しい。赤肉のルピアレッド種なのだけれど、栗山町規準をクリアした優秀品が「きららクイーン」というブランドメロンになっているようだ。たぶん。
 
7月に買いに行き、今日の夜に食したいのだというと、まだだめだと言う。
一週間以上先の、何日から何日くらいまでの期間中に、メロンがどうなったら食べ頃、というようなことを教えてくださった。最高の味だったので、今夏は、これだけでいいやと思った。
 
せっかくなので、その日に食べごろの西瓜も買ったのだけれど、JAの売場の人がご親切に選んでくれて、大変おいしくいただいた。
美味しい西瓜をもいちど食べたいと、今日も車を走らせた。
 
ここがメロンと西瓜に対する私の仕打ちの違いだ(笑)
自分でも良く分からない。
 
 
 
栗山に入る道を通りすぎてしまい、長沼町の道の駅に着いた。
小玉西瓜を買う。
ピュアホワイトといって生食もできる種類のミルク色のとうきびも買う。
 
ここの市場はとてもいい。ここと限らず、いまどきはどこもいい。
スーパーの半値みたいな金額で、今朝収穫したらしい野菜や果物が並んでいる。
買わずにいられないほど魅力的なのだけれど、山ほど買ったところで、自分の許では腐っていくばかりだ。突き詰めて言うと、購買能力に劣っており、消費能力に劣っている、ということだ。
 
購買能力を高めるには、私は働かなくてはいけない。でも今だって働いているのだから、今の10倍働くことはできない。だから、給料にマルをひとつ増やしてくれるといいと思う。
しかし、今の10倍の購買力があったって、消費数量的には変わらないと思う。メロンを10個も買ったりしない。
消費能力を高めるには、私が旺盛な経済力を得て、ごはんをたくさん食べそうな若い男つかまえたりして消費人数を増やすことも一案だ。
でも、事実上それは難易度が高い。
その代わり私は3倍くらいお高いメロンを、お高さのゆえに買うかもしれないので、その方が具体的で事実的だ。
 
 
私の、平凡で幸福な家族のイメージというのは車に積む青いクーラーボックスだ。
車を買ってすぐにホームセンターで買った。新品同様のクーラーボックスは私の幸福を詰めたか詰めなかったか、箱を開けたら消えてしまったか、とにかく小玉西瓜ひとつで満杯になった。70キロで帰る帰り道。