角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

昨日の続き。


私は料理の量の過剰はいけないと考えている。質を駆逐するとも考える。
 
昨日の続き(笑)
 
大喰らいを責めているわけじゃない。
 
食べる事を半ば強要されるのが嫌だ。
知人が、満腹感が嫌いだと言った。私は納得した。
 
もうたくさん、と言っているのに、もっと食べろと勧められると私はきれそうになる。あなたは私の胃袋のことを私以上にご存知なのか、といいたくなる。
 
もののなかった時代の、たくさんがイコールごちそうであった時代から我々は飽食し、多少なりとも洗練されたのではないかと考えているのだが、あいもかわらず、もっと食べなきゃ、とか言われるのには閉口する。
 
母は、周りの空気が冷めるくらいに拒否する人だった。半ば怒りをもって、もう食べられないと言っていたと思う。小食だったので仕方がないような気がしたけれど。
 
もっとすごいと思ったのは、父の入院時につきそっていた母が、同室の患者さんのお見舞いのおすそわけを、拒否することだった。間食をする習慣もあまりないから、保存のきかないようなものはことごとく拒否した。生クリームたっぷりの洋菓子などを母は嫌ったから、どうぞおひとつ、とか言われても断固拒否したらしい。

私なら、そこらへんは空気を読んだりして、お断りすることなくいただいて無理にも口に放り込んだりするけれど、母は強烈に頑固なのだった。決して良い性格とは思えないけど、気持ちも言い分も納得できるので、まあ、母らしいと思う。ほかの人はやりにくかっただろうなと、ちょっと申し訳ない気がする。
 
70代のいつかの誕生日に、母を初めてフレンチレストランに連れて行ったときは、本当に美味しいといいつつ完食したので驚いた。何年経ってもそう言っていたのは、母にとってフレンチレストランの思い出というのがそれ一つしかないからだ。
 
あ、それで、昨日の蕎麦会席は、大の男のしゃちょーが食しても食べきれないほどであるという話だったので、それは私には魅力ではなかったし、想像力の働かない仕事なんじゃないかと思ったので、とりやめにした。
最後に甘味として「そばがきぜんざい」と書かれていたけれど、どう考えたってそこにたどり着けないのは悔しいと思う。なかぬきで、ぜんざいを食したいとか思ったし。
 
あと、休みの日にしゃちょーに会うのも何だか嫌だと、すこし思った。