角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

好きなように暮らすと後ろめたいんだ。

  

まんべんなく9月。 
最近の4時半は暗くなってきたし、寒いので起きにくいけど、自分の指標に達するまで早朝運転練習は続ける。
引越し前までには千キロになる。そうすると前のジムニーで千ちょっと走ったので、都合二千オーバーとなる。
練習の合間に本番も混在しているけれど、全然上達を実感しない。上達とは何なのかが分からない。
生涯軽四左車線で結構だ。キープレフトっていうか、ステイレフトみたいな。

運転日報データベースを作って、走ったルート、所要時間、特筆事項などを記入している。
いつまでも何時間でもマップやストリートビューを眺めているし、紙の地図も持っている。

逆に考えると、この真剣味のなさはなんだろう。

誠実さに欠けているような気がしてきた。
交通ルールは誠実に守るけれど、情緒を論理で切り分けするようなルールを私は守るつもりなんかない。
不誠実な上に不道徳でもあるような気がしてきた。


ま、それはさておき、米関連のデータをお探しならば、米穀データバンクもいいけど
米穀機構米ネットのデータが非常に充実しているので関係者の人はどーぞ。自分は米関係者ではないけど。

でも、ネットの中はヒントや豆知識だけで、答えはなく、答えは自分が創り上げるものらしいことが分かった。
そうすると自分の仕事を死ぬほどつまらないと感じ始めて、とまらなくなった。
それまで楽しかった、誇らしかったことが全くつまらなくどうでもよく感じられて、その気持ちが増幅した。

だが仕事のつまらなさの本当の原因は、能力の足りなさだ。

あーあ。

しかし自分が納得できる最善の尽力をしたところで尽力の最善に納得するだけなのは嫌だと思う。
それでこその運転行為なんだ。論理の「連合弛緩」めいてますか。
なんていうか、その、自分の費やした時間が、有形無形のプラスファクターに変わる実感を得たいと思っている。

今すべき「もっと大切なこと」(笑)がほかにあるんなら、心や身体が反応するはずだし、
自分の大局観は「じどうしゃに乗ろーよ」と5時前から私を覚醒するので、
それで私のちっちゃいpjrったら、私のせいで、どんくさいコマネズミのように、のたのた走っている。


来週は海に行こう。