角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

今度食事でも。

 

四連勤と三連休を繰り返す日々だったが、シフト変更があって三連休が消失する。プールに行けないのではないかと心配したが、三連休の今もほとんど行ってないのでまあいいか。

仕事はもともと忙しかったが、輪をかけてつらくなった。
ウォルトに参入して以来メニューアイテムの欠品は原則ありえないのでとにかく製造しなくてはならない。
以前と比較して陳列棚にみっちりと商品がならんでいることが多いから、来店客数もあきらかに増えた。
製造数が増えるということは炊飯の量と頻度も増加するから作業は偏に製造のみならず周辺業務も並行して忙しくなる。食材も容器も発注量が増える。
売り上げも上がった。

そこで循環が途切れてしまうから、我々が疲弊するのだろう。

同僚の愚痴を聞いていつも思うことは、私が愚痴のゴミ箱になっていることと、同僚が実は何も変えようとしていないらしいということだ。
換気扇や水の音、揚げ物の音などがあって何を言われてもあまり聞こえない中で相槌を打つので、ゴミ箱役については別に何とも思っていない。ときどき頓珍漢な相槌を打っているらしく一瞬白けてしまうのが申し訳ない。

自助努力をしない人は苦手だ。
仕事と限らず、やめたいけれどやめられないという相談もどきのようなのが例の小町にもずいぶんある。大半が「したいけどできない」系のおはなしだ。
やめるとか逃げるとか突き放すとか反抗するとか提案するとか交渉するとか、なんとかできることはあるように思うのだがどうだろう。映画や小説のようにどうにも八方ふさがりで死ぬしかなかった、というようなことは滅多にないのではないか。


そういえば二日前の夜に便利屋さんの友人から着信があったのを翌朝まで気づかなかった。
昨日ふたたび電話をくれた。多分生存確認だったのだと思う。この人は電話を切る時に必ず、今度食事でも、というのだった。前に食事をご一緒したのは二十年近く前のことではなかったか。
そのとき私はワイン色のパンプスを履いていた。