角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

今度は呪術廻戦を。

 

9月を忘れていたわけではないけれど、人をおもうということはなかなか厄介だ。

息子にしても誰にしても大人なのだから放っておけばいいようなものだけれど、愛あるあまりにかどうかは知らないけど心配のあまり余計なことを言ったりしたりする。
もう本当にずうっと放っておけばどれくらい気持ちが楽か分からないというのに。
そしてたいていの場合、相手方の気持ちというのはこちらほどではないのだから一向に非対称性は解消されないのだった。

そんなわけで呪術廻戦もなかなか面白いので続けてみようとしてしばし中断し、9月の本を熱心に購読中。
読書に逃げたっていいじゃないかと思う。私はひとに、ストレスはひとつよりも二つ三つと増えるほどに飛躍的に心は折れやすくなりましょうと言いながら、実はたくさん抱えているのは自分なのかもしれないので日照のない9月のいちにちは言ってみればしにたくなるようないちにちなのだった。

さて、厚焼き卵がこれ以上ないというくらいきれいに焼けた。ものすごく厚い。
卵焼きを何年もことさら苦手にしていて滅多に着手しなかったのだけれど、偏にこれは道具であることに気が付いた。下手は下手なりに、見栄を張ってプロめいた道具を使ってはいけないのだ。気合を入れて購入した鉄のフライパンは一生ものなのだけれど、私の残りよりもはるかにフライパンが長持ちすることに気が付いたし、なにしろもう重くてしんどくなったうえに、手入れも不行き届きのおりから、捨てた。
軽くてすべるようなフライパンを新たに購入するとなにもかもが解消したので、身の丈にあった道具がよいのだと実感する。

9月の本があと1冊半くらいしかないので、読み終えたら2回目発注することにし、その間を呪術廻戦と映画でつなぐことにしよう。