角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

また返ってきた。

 

あろうことか、というよりも、案の定と言った方がいいのかな、履歴書が返送されてきた。
今回は何とかなるだろうと楽観していたので、憮然としている。こういう時の「憮然」という使い方があってるかどうか、忘れたけど。
 
さておき、今回の募集は70歳定年であった。それでも不採用なのは、よほど自分が箸にも棒にもかからない、ろくでもない人間であるような気がして、就活無駄話みたいなサイトを見て考えた。
おそらく書面上では私は扱いにくい人間だと思われてはじかれるのだろう。
面接にこぎつければ、普通感に溢れた、人のよさそうな丸顔(これはK社長がそういったのだ)で安心してもらえると思うのだけれど、そこまでこぎつけられない。
 
でも人は案外正しく直観しているのかもしれない。私は扱いにくい人間だ。
とても素直に従順に、ため口も聞かず穏やかに仕事をこなす、と自分では思っていても、それは相手がまっとうな場合に限るような気がする。
ときどきカルトルールのようなものを持ち出す組織もあって、それに納得しない場合は、一気に辞めることにしている。だからといって反抗的な態度は絶対にとらないし口答えもしない。無駄だからだ。
 
もうほとんど忘れかけているけれど、前の職場で、書類の回覧がしばしばあり、内容は我々調理補助要員には全く関係のないものがほとんどであったけれど、名前の欄があるので形式的な「見ましたサイン」を要求されていた。手持ちのボールペンでサインをしていたが、ある日、印鑑を押せと言われて激しく腑に落ちなかったことがある。私はくだらないバカげたことを言う人間が嫌いだ。そして人の日々の暮らしにはバカげたことは多々あるけれど、それを咀嚼もせずに無考えに押し付ける人間が大嫌いだ。
 
さきほどの無駄話サイトで傑作を見た。
履歴書を香典袋に入れて持参してきた応募者がいたという話だ。これは驚いた。私が人事なら是非とも話がしてみたい。どうしてそうしようと思ったのか、なんとなく、うやうやしげとか正式感を求めたのだと思うし、自分が応募するのだから嫌がらせなどではあるはずもないのだし、少なくとも形は違えども気持ちはこもっていると思うので、私なら是非お目にかかりたい。形の間違いならいくらでも訂正できるけれど気持ちのこもらない人は治しようもないものだと思う。
仕事年齢になって常識を知らないというのは、どういう環境で育ったのかにもとても興味がある。
 
とか他人事を面白がっている場合ではなくて、私はもう採用する側ではなくて採用されたい側なのだけれど、いささか今回のことで私は怒っているのだ。もういやだと思った。今回はたった2回の応募と2回の返送だけれど。私は毎日一日ずつとしをとっていくので毎日不利になっていくので毎日私はだめになっていくのか、といえば、そんなこともないだろうと考える。