人から聞いた話だけれど、入院してるどこかのGさんを見舞いにいったら、帰り際に、Gさんが怒鳴ったんだって。
「帰るんなら、来るな」って。
昨日、チラ読みした記事では、不幸は、喜劇の題材なんだそうだ。なんだそうか。
それで私はその話に泣き笑いしそうになったので木で鼻を括った返事をしておいた。
早く死なないかなあ、自分。
私は、あの子が泣きだす時の様子を知ってる。一言もいわないで、ほとんど気持がなさそうな白っぽい顔でいて、やがて目のふちが赤くなって黙ったままで涙をこぼす。それでも絶対にあの子は気持を言わない。あの子を泣かすのは嫌だから、もう少しと思ってきた。今は大丈夫かなあ。今度聞いてみる。
全く傷つくことがないタイプだと、きょうも言われた。傷つき方を喪失した。とかいうと、ものは言いようだ。なんかカッコいい。そんなこと、私にはどうだって良くて、面倒くさくってかなわない。
シャーレで菌を培養すると蔓延りまくってやがてゼロに収束するけど、まあ、それとは少し性質が違うけれど、組織・集団のあのあれ、おもしろい組織に、おもしろくない人が増えて、組織が面白くなくなって衰退するって図式のあのあれ。
あれは、ひとつ視点が欠落してるんじゃないかと、私はずうっと思ってた。
時間はウイルスのごとくであって、すきまなく私たちの空間に入り込む海辺の逢引きのあとの砂だ。
わたくしたちの死を設計する砂だ。
あなたが、年をとっているという身も蓋もない話だ。もちろん私もだが。
少なくとも半分はこちらがわの経年変化だ。劣化と言わないのは、貴腐もあるから。
私の体は砂でだんだん重くなり、静かに設計される音のない音をきく。
私はこのうえなく自由に言葉を選ぶ。おもっきり間違いの言葉を選ぶ。
もっと言い募ればよかったか。言い逃れるために言い募ったか。
見る目聞く耳語る口に降り積む設計の砂。
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2003年注釈 妙を砂と読み間違えたところから始まっています。