以前、大所帯社に間借して仕事をしていたときは、そこの社員でもないのに内線番号をもっていて、あるとき電話をとると「キャスリン?」と呼ばれた。
「あ、キャスリン? チャコティだけど」と本人が言うので、疑いなくチャコティ氏からの電話なのだった。
この「チャコティ氏」はスタートレックの全シリーズのタイトルをエクセルデータにして私にくれた。ビデオも次々貸してくれたので、ノルマを課されたように見た。
随分忘れてしまっているけれど、借りたビデオを何話も一気に夢中で見たりして、かなり楽しい時期だったと思う。
楽しさはどう醸されたかというと、私は今よりも幾分若かったし、母が今よりは達者だったし、家にテレビもあったし、テレビの前には家族がいたためだ。
私は超絶独り好きだけれど「家族」と過ごすのも同じくらいに好きだった。
そう考えると自分は仕事向きだったのかどうか怪しい。
何か幼稚な幻想を抱いて、思い上がってるだけかもしれない。だけど、家族がない以上は仕事場しか帰る場所がないのであって。ここにおいて本末は転倒する。
先日、コーヒーをご馳走になりに知人の老社長のところに顔をだした。
ご機嫌があまり良くなかったようで「あんたは人と較べて特段優れているわけでもなく、安いとか早いとかが取り柄なので、それに徹するが吉。新しい仕事の話など之笑止也」という意味のことを仰った。
続けて「資金力、人間関係力、そしてその前に確固としたビジネスモデルが要る。にもかかわらず、そのどれも持ち得ず物を言うのは片腹痛いわ」と。
安い早いだけなら、それは味の落ちた牛丼屋だ。
10年近く知人関係でいて、その日まではずうっと私を誉めてくれていて、昨年末にお目にかかったときも大層ご寛大に接していただけたが2008は違う風が吹いている。
誉められるといい気になってしまうので私は10年近くいい気になりっぱなしだったわけだ。
勘違いのまま年をとるのは無惨だ。
話を戻すと「チャコティ氏」はその後、社内の「セブン」と祝言を挙げられた。めでたし。