角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

かそけき。

 

スピングルムーブのスニーカーを数年前から履いているけど、それが広島産であることと、カンガルー皮であることを教えたら、広島にカンガルーがいるのかと言われた話を道すがら思い出して噴き出しそうになった。
 
モンクールのパンを買い美術館の庭で一休みしてから中へ。東山魁夷唐招提寺御影堂障壁画展を見た。森の青、海の青が迫ってきた。大変微かな山影があって、かそけきという言葉を思い出した。
 
一之瀬海がコンクールで演奏した曲のひとつが極めて小さな、それでいてはっきりと聞こえてくる音だったけれど、それは力がないからではなくてむしろ逆に力量があるからこそのかそけき音なのだった。というようなこともちらっと頭をかすめた。

「かそけき」文化は終焉しただろうか。食においても、例えばチキン南蛮あたりがきっかけとなった気がするけれど最近はずいぶん濃厚で、ただ一通りの味に飽きたらずどんどん足していくような味わいの食品が増えた気がしている。
微かに感じる、ほのかに香る、後口のやわらかさのようなものが廃れてしまった気がする。音が大きくなり、声も大きくなり、言葉はきつく汚くどぎつくなった。
 
さてモンクールのつぶあんパンは名前が確かではないけれど「甘夏と八朔のつぶあんパン」だったか、そういう名前だった。これが大変に良かった。柑橘の香りとほろ苦さが微かに漂うのだった。ここのパンは意外性に富んでいて、組み合わせのセンスが良いのだと思う。
 
いっぺんにそんなことごとをぼんやりと思った。
 
それにしても鑑真和上は大変だったと思う。60歳を過ぎてから異国に招かれるなんて、私なら絶対におことわりだ。ふつかやみっかで着くわけじゃないのだし。
今調べたら、なんだかものすごい曲折を経ての渡日だったようだ。
 
唐招提寺は2013年に一度訪れたことがある。西ノ京の静かで柔らかい雨の日、薄墨の桜もぬれて空に溶け込む風情であった。