東京には空がないと言ってはレモンを齧ったひともいたそうだが、私が見た東京には空も緑も水もあって、ただカカオはないのだった。
カカオのない国でカカオ行動をする
わたくしたちは、ひとつぶのカカオにすら、舌をさしいれて果肉をねぶりとることができないが、カカオは流通し、リアス式海岸の襞や等高線の先端付近までがカカオ空間になる。
カカオ行為の一切はほほえましくまかり通る。ココア日本だ。
君がカカオなら我またカカオ足らんと欲す。カカオと呼びカカオと応え、カカオづく、カカオめく、カカオたなびく、ぬばたまカカオ。カカオせんとやうまれけむ。
カカオもないのに カカオ欲求たぎる国。
そこでカカオは、考えられうる限りに繊細で甘く苦く苦く甘い情緒の滋養となり、
あなたのホットチョコレートをあたしのカカオに、と懇願するか、
あるいはあらかじめぶちまけたホットチョコレートを舐めとりたいと妄想するそのときに
ホットチョコレートに浮かぶ黒胡椒を噛み砕くと黒胡椒は青切りの酸のごとくに私を衝撃するのだった。
カカオもないくせに、カカオも持たずに、カカオもないままに 私は